2011年05月25日

火曜印刷3 末弟年雄の協力

私が生まれる前のこと、原始的な印刷機とはいえ、印刷という手段を得た父は、『蕗子』など句集を作るようになった。

このとき、父を手伝ったのが父の末弟の年雄である。
年雄さん(私から見ると叔父)は、父と10歳ほど年が離れていたが、幼いときからたいそう仲が良かったという。

ここからは、年雄さんに聞いた話。

父が『蕗子』を作ったときは、年雄さんが大いに協力したという。
ふたりで向かい合って、ここの字配りはこうしたらいい、といったことを相談した。
たとえば、船長の句は一行あいているが、あれは厳密には一行ではないのだそうだ。
ハガキ一枚の厚さ単位で、このぐらいか、もうちょっとかと、空白行の行間を調整した。

句は父が作り、改行するということも父が決めたが、
字配りには年雄さんの意見が反映されていて、見た目については合作に近いところもあるのである。

年雄さんは当時旧制中学を中途退学して、絵の勉強をしていた。
(その絵の師匠を見つけたのは父だそうだ。)

だからなのか、一ページを一枚の絵のように考えて、見た目のバランスにこだわって意見を言ったという。

『蕗子』には●とか○とかの記号がならんでいる句がある。
あれは、もともとああいう字配りの句があったのだ。
その試し刷りの段階で、普通ならば活字を逆にして下駄の歯のあとのようなもので刷ってみるのだが、年雄さんがいたずらして、記号を並べて刷って見せたところ、父がそれを気にいって、そのまま採用した。
だから、もとの句はあれのおかげで句集に載らなかったそうだ。


posted by tyouseki at 15:49| 密航船(重信関係情報) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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