2011年05月25日

友よ我は片腕すでに鬼となりぬ 鑑賞の蛇足

蛇足
 作品ができるきっかけとして、現実世界の出来事を持ち出すのは私の読解流儀に反するのだが、この句に限っては書いておきたいことがある。

 私が若いころはやったフォークソングに「友よ」というのがあった。そして、当時のフォークには他にも、若いころ純粋に理想を共有した友に呼びかけるような歌がいくつかあった。
 重信がフォークソングなんて、時代がずれていると思う人もいるだろう。
 しかし、フォークブームは、社会現象としてニュースにとりあげられたのだ。ベトナム戦争に反対する集会も多く、若者たちは集えば歌を歌った。新宿駅に若者が集まって歌う様子も、たびたびテレビで目にした。そういう場面でよく歌われた「友よ」を、父が聞きかじったって不思議はない。そのうえ重信には、私という高校生の娘がいたのだ。

 当時の高校の教室には生ギターがごろごろして、放課後はどの教室からも弾き語りが聞こえた。私もコード伴奏ぐらいはできたから、父に、いまこういう歌がはやっているのよと、いろいろ歌って聞かせていたし、私は「友よ」がけっこう好きだったのだ。
 フォークの歌詞の世界に出現した「友よ」という言葉は、当初は、理想を共有する戦いの同志に向けた呼びかけだった。
「友よ、夜明け前の闇の中で、友よ、戦いの炎を燃やせ。夜明けは近い夜明けは近い」
 「夜明けは近い」という部分の甘さが気になるけれど、少なくとも耳で聞き自ら声に出して歌うとき、「友よ」という出だしの呼びかけはすばらしかった。「そういえば私は誰にともなく『友よ』と呼びかけたくてたまらない」というふうに、言葉の欲求をかきたてられた。

 反戦運動を報じるニュースと、熱のこもった私の歌唱力(?)と、あの父の性格(人一倍理想を求め、純粋さを愛した)と、そして当然のこと父が言葉の感度が抜群であったことを合わせれば、フォーク世代とは縁のない父も、「友よ」という語の魅力に気づかなかったはずはない。

 そしてもうひとつ、私でさえ「夜明けは近い」は甘いと感じたわけだが、ニュースで平和運動の集会を見た父が、次のようなことを言ったのを覚えている。
「こんなふうに、大勢の人が何十年もかけて運動すれば変革できることもある。だが、もっと長い時間がかかり、何世代もの人が努力を重ねなければならないこともある」

 つまり、「夜明け」は近いとは限らない。うんと遠くて、幾世代もが夜明けを見届けることなく後を託して死なねばならない。そういう歴史的な大仕事だってあるということだ。その口ぶりには、父もそういう種類の大仕事のどこかに属しているかのような誇りがうかがえた。
(2005年5月)
 また、当時、大学紛争もさかんだったが、そのニュースのときこうも言った。
「彼らは東大や早稲田などに在籍する優秀な学生だ。もし彼らに強靭な忍耐力と信頼があり、何十年も連絡をとることなく信念を共有して隠し持っていられるなら、みんなして政治家や官僚になりおおせて、ある日一挙に革命を起こすことができるんだが」

 「できるんだが」は「できないだろう」に聞こえた。そんなに長い年月、仲間を信じ、信念を忘れずにいられるか。せっかく得た地位をなげうって、革命の同志にそろって戻れるとは思えない。忠臣蔵の四十七士だって何十年も耐えたわけでなく、それでも脱落者が出たのだから。

 作者と作品は切り離し、句の解釈は句の言葉だけでするべきだ。だから以下は句の解釈ではなく、単に父がなつかしいから想像するだけだが、父が「友よ」という言葉を使った時、そういう長い年月の孤立に耐える同志のようなことが念頭にあっただろうと思う。

※ごちゃごちゃ書いたが、父のこの句の「友よ」は、私のへたくそな歌が影響しているかもしれないという、ただそれだけが言いたくてこれを書いた。

posted by tyouseki at 16:45| 密航船(重信関係情報) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする