2011年05月25日

ことわざ読み? その1 「身をそらす」の句

(2005/04)
父の句が句碑になる。そういうことを意識したとき、
全く俳句に興味のない人の目で句を読んだ。

俳句ということを意識せずに句を読んだら、
「ことわざ」のように受け止めることがあるのではないだろうか。
たとえばこれ。(これは句碑にしなかったが)


身をそらす
虹の絶巓
    処刑台


もしかして、
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」の反対、
「出る杭は打たれる」みたいな感じに受けとめないだろうか。
つまり、ふんぞりかえっていると処刑されるというふうに。

この句にはさまざまな解釈があり、
「ことわざ読み」的な解釈もそんなに見当はずれではないと思う。
ただし処世訓として
「だからおとなしく謙虚に生きろ」
というメッセージだと受け止めてしまうのはどうかなあ。
「虹」の無念さを読み落としてないかなあと思う。

一般的イメージとして「虹」は杭のように「出すぎたもの」ではない。
「虹」は、遠い国、理想の場所などにかかる美しい架け橋として
しばしば用いられる語である。
だから、身をそらして「虹」になろうとしたら、
まるで出る杭が打たれるように
てっぺんにいきなり処刑されたという、無念さも読み取れるのだ。

「処刑台」という文字があえて下のほうに配置されているのは、
ぶっつりと切られた感じを表しているか、
あるいは落下する理想を見下ろすような感じも読み取れる。

「ことわざ読み」は侮れない。
それは比喩を読み解といて自分に役に立つ教訓を探す読み方だ。
俳句は教訓を提示するわけではないけれど、
少なくとも比喩の受け止めという段階では、
立派な読者になっているし、わりに的を得て解釈するんじゃないかと思う。


posted by tyouseki at 16:55| 密航船(重信関係情報) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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