2011年05月25日

ことわざ読み? 2 「船焼捨てし」

(2005年4月)
こんど福寿院(重信の母の実家である群馬の寺)に建つ句碑には、


船焼捨てし
船長は

泳ぐかな


が刻まれる。

なにしろ場所はお寺だ。
法事で住職の訓話を聞いた帰りに句碑に目をとめるとしたら、
人生訓みたいなものとして受け止める人がけっこう多い気がする。

この句は、
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
ということわざに近い解釈が成り立つと思う。

それはそれでいいかなあ、という気がする。

この句も解釈はわんさとあるが、

大洋において、拠り所であるはずの船を焼き捨てる。
それも船を最後まで捨てないとされる「船長」が。
この船長が陸におよぎつくのかどうか、
あんまりそういう感じがしない・・・。

という場面は、おおかた一致して読み取るわけで、
そこから、
「人生ときには思い切った転機も必要だ」
という教訓を引き出すこともできる。

私も最初はそう思ったのだ。
でも、
「しがらみを捨ててしまえ、なんとかなるさ」
という教訓にしては、なんとなく、
この船長が自らを追い詰めてきた感じが強いと感じた。

この船長は、
船は捨てても目的は放棄していないのではないか?
その目的そのものが、最初から、めざす陸地の見えない
かなり絶望的なものなのではないか?

「泳ぐかな」は、義務からの解放という面もあろうが、
「船」という手段を捨てて、
自力だけを頼りに海を行くという、
より純粋な方法を選択した、
という解釈のほうが今は気に入っている。

この句に対する私の解釈の詳細は「父の俳句」という文章に書いたから、
ここでは詳説しない。

芭蕉の「もの言へばくちびる寒し秋の風」も
無駄口をいましめる言葉として、
ことわざの本に載っている。

他人のうわさや悪口をいうむなしい感じそのものをあらわした句だが、、
それを「いましめる」と解釈してしまうところが
「ことわざ読み」の欠点だなあ。

posted by tyouseki at 16:58| 密航船(重信関係情報) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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