2011年07月10日

【どうしたら、こうしたら】

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■1 発端は「ああ俺はどうしたら」


「ああ、俺どうしたらいいんだろ。」
 
 従弟にとっつかまって、実に7時間も愚痴を聞いた。

 はじめの4時間はそう退屈ではなかった。この従弟は話術に長けていて、人の心をつかむ話し方ができるのだ。

 だが、しょせんは愚痴。4時間を過ぎたころから、何度か「じゃあこれで」と帰ろうとしたが、従弟は引きとめるワザにも長けていて、とうとう7時間もつきあってしまった。
 
 どうどうめぐりのあげくの何度目かわからない、「俺どうしたら」に私はキレた。

「あんた、今日、『俺どうしたら』って何べん言った? あたしはそのたび何種類の『こうしたら』を提案した? あんた今、そのうちの一つでも覚えてる? そもそも解決する気なんかないでしょ?」

「えー、俺、ほんっとどうしたらいいかわかんないんだよぅ。」

「なんとかしようとするフリを楽しんでるだけで、けっきょく見慣れた不幸が好きなんでしょ。愚痴野郎は死ななきゃ直んないわよ。あんたはあたしを、死ななきゃ直んない愚痴の捌け口にしただけだ!」
 
 私は機関銃を撃ちまくった。もう気が済んだ。だから、この文章は、愚痴の捌け口の捌け口として書いているのではない。

 この「捌け口を必要とする」という心の働きには、危険性があると思える。頭にいろんなことがあふれて来ちゃったので、書くという方法で整理するために、これを書きはじめた。
 
■2 理髪師は穴を掘ったが
 
 自分では解決できない問題をかかえ、それを人に言うことを禁じられたら苦しい。これはその問題の解決とは別のことだ。行きどころのない気持ちはどうしたらいいのか。
 
 「王様の耳はロバの耳」式に(「愚痴」ではなく「秘密」だけれど)、穴を掘ってぶちまけたらどうだろう。

 ミダス王のロバ耳を見た理髪師は、穴をほってこの秘密を打ち明けたが、地面でさえ耐えきれず葦を生やして、「王様の耳はロバの耳」という秘密を風に乗せて拡めてしまった。
 
 「秘密」は世間にばらまかない限り、「捌け口」を必要とし続けるようだ。「愚痴」はどうしたら消滅するんだろう。「愚痴野郎は死ななきゃ直んない」のか?
 
■3 ゴキブリおばさんの八つ当たり
 
 唐突だが、子どものころ、友だちのお母さんで、すごくやさしそうな人が、ゴキブリを見たとたんスリッパを振りかざし、キーッと言いながら追いかけるのを見たことがある。
 
「食わぬ殺生はいけないんだよ!」

 びっくりして、思わず変なことを言ってしまった。
 そしたら、おばさんがふりむき、なんだかものすごくキンキン怒った。

 害虫を駆除するならわかるが、スリッパを汚してまでゴキブリに制裁を加えなくてもいいだろう。何かが過剰だった。あの行動は八つ当たり、つまり、何かの「捌け口」だったのではないだろうか。

■4 はらいせに叩きつけるぬいぐるみ

 知人の家に行ったら5歳ぐらいのK子ちゃんがいて、ぬいぐるみを抱いて、なにやら話しかけて遊んでいた。

 ところが、K子ちゃんは母親に何かでしかられたとたん、ぎゃっと泣いて、ぬいぐるみをバシッと床に叩きつけた。
 
 私が思わず、「あ、痛い!」と(例によって余計な)声をかけたら、K子ちゃんはもっと怒って、(うぜえよクソババア、こうしてやる、とばかりに)ぬいぐるみの足を持って、何度も何度も床に叩きつけた。

 これも八つ当たりの一種だろう。はらいせと言ってもいいかもしれない。

 ゴキブリおばさんも、K子ちゃんも、文句も言わず抵抗もしないものを相手に選んでいる。

 おばさんの場合は、わりと大きい虫のゴキブリを選ぶことで、やっつけた達成感を味わっていた程度だった。

 しかし、K子ちゃんの場合は、母親に子どもの自分が叱られたから、とっさのはらいせで、自分の子どもに近いぬいぐるみを痛め付けた。はらいせが下へ落ちてゆく。そして、そのことを他人に注意されてさらに腹をたて、(でも、その他人を直接痛め付けられないから)、その他人が同情したぬいぐるみをうんと痛め付けることで、「おまえのせいで、こいつはもっと痛い目にあっているぞ」と、間接的な仕返し行為に出たのだ。

 これって、かなり怖くない?
 
■5 思考操作で例外を作る

 ゴキブリおばさんは、相手が「害虫」だということがスリッパで叩き殺す十分な理由になり、八つ当たりしても自分は責められないと思っていた。(無意識にしろ、例外を作ったのだ。)

 K子ちゃんは、生き物でないぬいぐるみなら痛め付けても自分は責められないと思っていた。(無意識にしろ、例外を作ったのだ。)

 要するに、「原則としてやってはいけないこと」に、「ただし相手が害虫ならOK」とか、「相手が生き物でなければOK」みたいに、無意識に例外を付け加えているのだが、そういう思考の操作に、私は危険を感じる。

 目に見えないものが「捌け口」を求め、例外を作ってそこにぶちまける。このとき自分は、全く無傷だろうか。何か目に見えないものを負うことにならないのか。

■6 身代りの紙人形と代償

 どこだったか旅行先で立ち寄った神社かお寺に、厄災を紙人形に移して水に流すというのがあった。

 その看板には紙人形の値段とともに、紙人形に託す厄災の例がすごくいっぱい書いてあった。
 身体のあらゆる部分の病気や痛み、心の病、家族親族のもめごと、その他、人生上の数々の困難がずらずら。

「ひっでー、人形がかわいそう!」
と言ったら、同行者が「えっ、なんで」と驚いた。
(さては、紙人形を買おうとでも思ったか。身勝手な奴だ。別れよっと。)

 身代りに厄災を移すという発想は、非道すれすれではないだろうか。

 だが、人形に厄災を移して流す呪術的な行事は各地にある。それは日常的に呪術に親しみ、一方では呪術の代償についても知っていた時代にできた習慣だ。呪術は天下の回りもので、そういう方面で借りを作らないような生活(日々神棚や仏壇に供え物をするなど呪術的な精進)をしていたのではないだろうか。
 
 日頃、呪術的な精進をしない現代人が、身代り人形を金で買って(自分の犠牲はカネだけで)、辛苦をすっかり負わせましょう、はないだろう。そういう安易なシステムには薄気味悪さがある。

 こういうことを自分に許したら、厄災よりもっと悪い借りを背負う気がしないか?
 
 ゴキブリおばさんもK子ちゃんも、自分が責められないと思っていた。つまり、ゴキブリもぬいぐるみも、代償を求めないから安全な捌け口だと思っていたわけだ。身勝手と安易さに突き動かされ、何かが見落とされてはいないだろうか。
 
■7 エスカレートを制御できない
 
 そういえば、星新一の「ぼっこちゃん」の中の一つに、捌け口の対象がエスカレートしてゆく話があったと思う。

 ある男が交番に自分は人を殺しそうだと自首してきて、「ある夏イライラしたので虫を殺したらスッキリした。次の夏は虫では効かず、もう少し大きいものを殺したらスッキリした。夏に向けてだんだん大きいものを用意するようになった。昨年は猿を飼った。さあ逮捕してくれ。」という意味のことを言う。

 巡査はとりあわず男を帰すが、帰り際に「家族は?」と聞くと、男は「最近、結婚しました」と言う。
 そういうような話だった。
 
「捌け口」は、本人も制御できないところまでエスカレートすることがあるのではないだろうか。

■8 拡大する「例外」

 旅行先の池のある公園で一休みしたとき、まわりの鳩の様子がおかしいことに気づいた。釣り糸が足に絡みついて、歩けない鳩がたくさんいる。中には片足がもげてしまってけんけんしている鳩もいる。

 「釣り糸を捨てるな」という意味の立て札があった。しかし、広い池の周囲を見れば、もうそこいらじゅうに糸が落ちている状態だった。

 鳩の足を鋏で切り落とせと言われたら、たいていの人は、そんな残酷なことはやりたくない。
 だのに、この残酷は現実として起きている。
 さっき、「例外を作る」という思考操作について書いたが、「自分が放置した糸があとから鳩を苦しめても構わない」と思うために設けた「例外」は何だろう。

「直接的に手を下さない場合は」だろうか。

「自分がやったとバレず責任を問われない場合は」だろうか。

「他の人もやっているので自分だけ気をつけても無駄な場合は」だろうか。

■9 「仕方ない」とあきらめる判断

 立て札をたてただけで釣り糸を放置している管理者はどうだろう。

 たまには掃除するのだろうが、池の周囲はなにしろ糸だらけだった。掃除回数が足りないのは明らかだ。

 管理者も、「注意はしたが改善されないなら仕方ない。(注意を守らない人が悪いのであって、当方は責任を問われない。)」という思考をしている気がする。
 
 これは、「構わない」ではなくて「仕方ない」とあきらめる判断基準を作る思考操作である。本当に全く打つ手がないなら「仕方ない」だろうが、責任を問われない地点でさっさと「仕方ない」ことにしていないだろうか。

 ただし、私も「仕方ない」と思ったのだ。

「私に今できることは、目についた糸を少し拾うことだけだ。それ以上はできない。仕方ない。」

 でも、本当に「仕方」はなかったのだろうか。せめても投書ぐらいはできたのではないか。頻繁な掃除や糸を捨てた者を罰するなどの有効な措置を工夫しろなどと。
 
■10 愚痴は「仕方ない」を攻略しない

 そういえば、冒頭の従弟の愚痴には、「仕方ない」がたくさん含まれていた。

 従弟は「仕方ない」ことで八方が塞がりだった。もう何も打つ手がないと既に結論が出ていた。

 はたから見ると、それは彼の手持ちのカードでは「どうしようもない」だけである。相談された私は、別のカードを混ぜて考え直す方向で「こうしたら」を提案したが、新しいカードを混ぜて考え直すという意識改革に比べたら、もう慣れつつある現状に耐えるほうがずっと楽なのだ。

 それでもあきらめきれずに、あるいはあきらめたことにしたくないために、「俺どうしたらいい?」と、どうどうめぐりしてしまうのだ。

 「仕方ない」の攻略のために自分を変える意欲がない。そのことに気づかず、あるいは隠してする話を、「愚痴」というのである。

 「仕方ない」と「自分を変えない」の矛盾から、捌け口を必要とする何かがもくもく発生している。

■11 無関係な「かわいそう」1 裸の銅像

 私はゴキブリや人形への同情心からこれを書いているわけではない。そういう感傷的な気分のことを書いているのではない。私が書いているのは、「捌け口」を求める身勝手がエスカレートしてゆく危険、代償はないと思っていても自身の何か見えないものを損傷するかもしれないことを考えない安易さ、を言っているのである。

 誤解はないと思うが、紛らわしいことをはっきり棄却しておこう。

 例えば、駅前や公園に銅像が立っている。あれはたいてい素っ裸で、中にはずいぶん辛そうなポーズをしているものがあって、そういう銅像を見るとき、「まあ大変だねえ」と、ちょっと気の毒に思うが、これは関係ない話だ。

 銅像の作者は、何かのはらいせで寒空に銅像をすっぱだかにしたわけではないだろうから。

■11 無関係な「かわいそう」2 救命人形
 
人形のくちびる少し切れている数えきれないくちづけを受け 入谷いずみ
 
 救命訓練用の人形を詠んだ歌。童話のお姫様などは口づけで幸せになるのに、この人形はそうならない哀れさが詠まれていると思う。(人間だって、物語から外れたときは、この人形のような哀れな状況に陥ることがないとも限らない。)

 マウストゥーマウスの訓練は生身の人間ではなかなか務まらない仕事であって、必要があって作られた人形だ。くちびるが切れてしまう救命人形は哀れだが、人の身勝手な思いの捌け口として、人形に口づけさせているわけではない。だから、これも本件には関係なし。

■12 代償を払わなかったことを誇れるか

 ニュースで、過酷な現場に入って作業するロボットの映像を見た。

 彼らにもちょっと悲壮感がある。作業中の事故で殉職することもあるかもしれない。が、これも「捌け口」にされた哀れさではない。だから、この文章の趣旨とは関わりの薄いことである。

 ただし、ロボットで思い出したことがある。

 先にもあげた星新一のショートショートに、ハルマゲドンの戦いをロボットにまかせて、人間はテレビで観戦するというのがあった。

 ロボットたちはよく戦い、ついに悪に打ち勝つ。ロボットたちの死体るいるいの戦場に神が降り立つと見るや、人間の代表は誇らしげに駆けつけた。

 だが、神は人間に見向きもせず、ロボットたちを救ってさっさと帰ってしまったのだった。

 原発事故現場に作業ロボットを投入するニュースに、なにやら技術を誇るような雰囲気を嗅ぎ取ると、複雑な思いを抱く。

 人が作業できない環境にロボットを送り込むのは「仕方がない」ことだろう。だが、代償を払わない事柄は、人はともかく、神には誇れない。

 まして、人間の技術が引き起こした重大な事件では、それにかろうじて対処する技術のチラ見せなんか、人間相手でも誇るようなことではない。

 以上 思いつくままに。


posted by tyouseki at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ひまつぶメモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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