2011年07月10日

【「なければ――ない」と「ならーーある」の論理的な違い】

 今日、『鳥の仏教』中沢新一(新潮文庫)を読んでいて、
「情熱がなければ、祝福に満ちた力は注がれない」
みたいな「ナニナニでないと、カニカニでない」という言い回しが多いなーと思った。
 
 それで思い出したことがある。
 
 むかし、社内報の編集をやっていたころ、歯を大事にしようという特集で、
「自分の歯で食べないとおいしくない」
という原稿を扱った。
 
 このタイトル、どうせ言うならポジティブに、ということで、
「自分の歯で食べればおいしい」
に変更になった。
「同じような意味だし、すっきりしていい。」
と、執筆者も喜んだ。
 
 記事のタイトルはそれでOKだ。
 が、そのあと「同じような意味」ということが気になった。「同じよう」だが少し違う。その違いは何だろうと。
 
 ポジティブかどうか、みたいなことじゃなくて、論理的な違いがある。そう思えたが、その場ではなかなかうまく説明できなかった。
 
 しばらくして、二つの条件があるときは四つ窓に整理する、というのを覚えた。
 こんな具合だ。
 
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
      |自分の歯| 自分の歯でない
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
おいしい  |  A  |  B
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
おいしくない|  C  |  D
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 こうして見ると「自分の歯か否か」と「おいしいかどうか」の二つの条件だと、4通りのケースがあることがわかる。
 
A 自分の歯で食べる おいしい
B 自分の歯でない  おいしい
C 自分の歯で食べる おいしくない
D 自分の歯でない  おいしくない
 
 最初の、「自分の歯で食べないとおいしくない」は、このABCDのうちBのケースを棄却したものだ。
(Cの〈自分の歯で食べる おいしくない〉は棄却はされていない。)
 
 それに対して、「自分の歯で食べればおいしい」はどうだろう。
 こっちは、Cのケースを棄却している。
(Bの〈自分の歯でない おいしい〉は棄却はされていない。)
 
 ね? こういう微妙な違いがあるんですよ。
 
 それがどうしたって? こんなふうに、言い回しによる微妙な違いがあることを知らなかったら、すり替えに気づかないでしょう。
 
 人に騙されないためだけでない。自分が自分の文章の中で、論理的に軸足がズレちゃうのを防ぐためにも、たまにこういうことを考えておく必要はあると思う。
 
冒頭の
「情熱がなければ、祝福に満ちた力は注がれない」
も、試してみよう。
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
            | 情熱あり| なし
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
祝福に満ちた力が注がれる|  A  |  B
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
注がれない       |  C  |  D
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
A 情熱あり  祝福に満ちた力が注がれる
B 情熱なし  祝福に満ちた力が注がれる
C 情熱あり  祝福に満ちた力が注がれない
D 情熱なし  祝福に満ちた力が注がれない
 
「情熱がなければ、祝福に満ちた力は注がれない」は、この4つのケースのうちBを棄却する。Cは棄却はされていない。
 
「情熱があれば、祝福に満ちた力が注がれる」と言い替えた場合、Cが棄却され、Bは棄却はされていない。
 
 ああ、やっぱり。
 微妙な違いだけれど、これをすり替えてはいけない場合がきっとあると思う。
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posted by tyouseki at 20:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ひまつぶメモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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