2014年12月30日

花とドライアイスとお坊さん & 醸すカモシカかもしれない

長文の評論を2つUPしました。
(詩・歌・句・美の共同誌「鹿首」の特集に寄稿した評論)
興味がありましたら、評論のタイトルをクリックしてください。
花とドライアイスとお坊さん

醸すカモシカかもしれない

なお、とりあえず雰囲気だけ知りたいという方のために、
下に、小見出しと引用作品だけ掲出しておきます。

sakanawp daku 2 hyouron.jpg

花とドライアイスとお坊さん
(「鹿首」5号 2014・3 特集「死は祀り」)

一 死生観の説得力

■花のしたにて春死なむ
 願はくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ    西行

■ウソにもほどがあるのでは?
 又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
(鴨長明「方丈記」)

 六道輪廻の間には ともなふ人もなかりけり
 独(ひとり)む(生)まれて独死す生死の道こそかなしけれ(中略)
 ……
 たましゐ独さらん時たれか冥土へをくるべき
 親族眷属あつまりて屍を抱きてさけべども
 業にひかれて迷ゆく生死の夢はよもさめじ(中略)
 ……
 すべての思量をとゞめつゝ 仰で仏に身を任せ
 出入る息をかぎりにて 南無阿弥陀仏と申べし     一遍「百利口語」(和讃)

 母が死ぬ前からあった星だけど母だと思うことにしました    木下龍也

■生きかはり死にかはりして
 生きかはり死にかはりして打つ田かな  村上鬼城

■たましいを掛けておく釘がない
 晴れ上がる銀河宇宙のさびしさはたましいを掛けておく釘がない    杉崎恒夫
 星空がとてもきれいでぼくたちの残り少ない時間のボンベ          同
 たれかいまかすかにささやく青空の底の秘密を(あなたはゐない)   井辻朱美

■領域感覚と新たな死生観
 秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは     堂園昌彦
 電車の外の夕方を見て家に着くなんておいしい冬の大根        永井祐

二 死体の地球パワー

■アカシアの雨にうたれて死ぬ
「アカシアの雨がやむとき」(作詞:水木かおる 歌:西田佐知子)
 アカシアの雨にうたれて
 このまま死んでしまいたい
 夜が明ける 日が昇る
 朝の光のそのなかで
 冷たくなった私を見つけて
 あの人は
 涙を流してくれるでしょうか 

■「迫真の」死体
 (犯罪捜査ドラマの死体)
■地球方式の「死の祀り」
 (「九相図」について)

■死体とはいっしょにいられない
 (沖縄戦の体験談)

■吾に恥見せつ!――売り言葉に買い言葉
 古事記より
 蛆(うじ)たかれころろきて、頭には大雷(おおいかずち)居り、
 胸には火雷(ほのいかずち)居り、腹には黒雷(くろいかずち)居り、
 陰には泝雷(さきいかづち)居り、左の手には若雷(わかいかずち)居り、
 右の手には土雷(つちいかずち)居り、左の足には鳴雷(なりいかずち)居り、
 右の足には伏雷(ふしいかずち)居り、併せて八柱の雷神成り居りき。

■言葉のドライアイス
 雪の上にいでたる月が戦死者の靴の裏鋲を照らしはじめつ     香川 進

■夫婦喧嘩できない

三 この世に開く花

■きゅっきゅっと栓をする

■「花」と「穴」の淡い縁
 穴という穴に真綿を詰められて荼毘に付された娘(こ)の花赤し   天道なお

■花はこの世に開く窓?
 此の世に開く柩の小窓といふものよ    山川蝉夫

■共に在るために
林檎の花に胸より上は埋まりおり そこならば神が見えるか、どうか  永田和宏

■人類が建てるイメージの産屋
極楽は眉毛の上の吊し物あまりの近さに見つけざりけり     道元

醸すカモシカかもしれない
(「鹿首」6号 2014・9 特集「醸す」)

一 短歌の用例から考える「醸す」

1 酒などの比喩
 鉛筆の削り屑よりかもしたる/まくろき酒をのむこゝちなり    宮沢賢治

2 春の生気
 春ふかき大地の温気(うんき)にかもされて立ち来る草の瑞青太茎(みずあをふとくき)木下利玄
 黄の蕊を花心に醸す春うつつ牡丹揺れ合へり百重花瓣        北原白秋

3 雰囲気を強気で言ってのける
  座り猫ふりむくときになにかかう懐手する感じをかもす    小池 光
  紫陽花の醸せる暗さよりの雨         桂 信子

4 匂う異変と明るい驚き

5 変化の時間
 甕に醸すをみなの唾液と穀物のねむりをわれにほんのひととき    山田富士郎
 原子炉はなにかの蛹だと思ふ 西原天気

6 醸しきったら?
琥珀色の海ができたら伝えよう 醸成を待つ心は金魚     柴田 瞳

二 親しき菌のみなさん

1 「かもすぞ」
 (「もやしもん」について)

2 菌に親近感
 乳白の闇を想へり生きたまま腸までとどく乳酸菌の      魚村晋太郎
 ほの光る空気中浮遊細菌は母かもよああ数かぎりなし     渡辺松男
 細菌が肌を寄せあい待っている愛したものは埋葬せねば    東 直子

3 発酵と腐敗
 自らを弔うようにゴミたちは腐敗、自然発火をなせり      俵 万智
 腐敗とは誰かに負けることなのか 静かに分離してゆくミルク  田中 槐

4 本音と除菌
 朝礼に並ばされいておとなしい低温殺菌されたる君ら     杉崎恒夫

5 無菌と生命の危機
無菌室できみのいのちは明瞭な山脈であり海溝である     笹井宏之

三 われら情報菌

1 物議を醸す微力

2 情報菌は薄情
はい死んだはい死んだって言いながらあなたがめくる朝日新聞     木下龍也
「見ないまま重ね録りされ消えてつた推理ドラマの刑事みたいね」    秋月祐一
むちゃくちゃに窓の多いビルだから月はいちいちのぞいておれぬ     杉崎恒夫

3 微力の融合
わたくしの口癖があなたへとうつりそろそろ次へゆかねばならぬ    斉藤斎藤

4 夢の神秘と日常の神秘
 右腕にうすくなりゆく黒子あり消えなば誰の身に発芽する     梅内美華子
 夢を碾く わたしのゆめがどなたかのゆめの地層をなしますように   佐藤弓生
 境界がわからなくなるところまであなたとおととことばとわたし     馬場めぐみ
 玉川上水いつまでながれているんだよ人のからだをかってにつかって  望月裕二郎

5 醸すカモシカかもしれない
ダイバーの吐き出す息がサイダーの泡のひとつとして湧きあがる     伊波真人

たらちねの酵母
posted by tyouseki at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ばるばろ(短歌鑑賞) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月30日

【短歌読解ノート】最近の更新など

短歌の読解練習24 神仏の死体 ほか
http://www.h4.dion.ne.jp/~fuuhp/hyouron/dokkaizanmai%2024.html
短歌の読解練習25 最近書いた評論から抜粋
http://www.h4.dion.ne.jp/~fuuhp/hyouron/dokkaizanmai%2025.html
短歌の読解練習26 私たちを巡るもの
http://www.h4.dion.ne.jp/~fuuhp/hyouron/dokkaizanmai%2026.html
ラベル:短歌
posted by tyouseki at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ばるばろ(短歌鑑賞) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

【ストライクがストライクゾーンを作り続ける】

■ えーい、これはどうだ、これは通るか
 
 言葉の魅力はさまざまあるわけだが、説明しにくい領域がある。
 たとえば、単語の語感の魅力(意味内容ではない)のような説明しにくい魅力領域は、結局は人の好き好きでしかない、と、説明が放棄されがちだ。

 だが、説明しにくいとしても、そういう魅力はちゃんとある。

 こうした基準の不確かな領域において、「それでもある程度は人と一致する」と信じなければ、表現の多くは成り立たないはずだ。

「えーい、これはどうだ、これは通るか」

 詩歌は、こんな感じに投球されることがある。
(自分の例はおこがましいが、少なくとも私は、短歌を送り出すとき、しばしば、「えーい、これはどうだ、これは通るか」と思った。これは、やけっぱちではなくて、確信はあるが説明できないという不確かさからくる掛け声だった。)

 「ある程度は人と一致するはず」という、その不確かな確信のストライクゾーンは、確定せずに流動し、新たなストライクを受け入れるたびに、確認され続けるようなものではないか、と感じている。

(当たり前だと思う方もいるはずだが、少なくとも短歌では、必ずしも多数派とはいえない。短歌には野球のようなストライクゾーンがあらかじめ決まっていて、そうでなければ評価できないと思っているらしい人によく出会う。この文は、野球と異なるストライクゾーンがあるという説明の試みだ。)

 不確定なストライクゾーンが形成される例として、ある単純な言葉遊びをあげる。

■ 言葉遊びをしてみた

「ザブトンの中にザブンがある」
というような組み合わせを探す遊びを、二人の息子たち(詩歌に興味のない一般の若者。言葉遊びは好き)とやってみた。

「枕の中に蔵がある」
「桜にもクーラーにも蔵はある。二文字はダメだろ」
「はだかんぼうの中には感冒と暖房がある」
「つまんね」
「アナグラムの中に穴ぐらがある」
「クラはあきたぜ」
「サクランボに乱暴」
「トランプにランプ」
「ありがち」
「遣唐使にケント紙」
「ううん。やや、だなあ」
「ベン・ジョンソンに便所」
「下ネタはつまらん」
「空海の中に空母があるってどっかで読んだ」
「ふーん」
「カッコの中に過去がある。二文字でもまあまあ?」
「『二文字でもまあまあ』という例外的OK」
「バチカンの痴漢」
「ややキタ、ややシモ」
「バチカンのバカチン」
「ダメ」
「レインボウの中に陰謀」
「やや。でも一時間やってりゃ誰でも思いつきそう」
「長い言葉だったらどうよ。スルターンオマールアリサイフディーンモスクには財布があるとか」
「なにそれ。シラネー」

■ 投げ込んではじめてわかるストライクゾーン

sutoraiku.jpg 

 ここでおもしろいのは、言葉遊びより、この遊びのルールというか、価値観が形成されてゆく点だ。

 つまり、ザブトンとザブンのような言葉の組み合わせには魅力に優劣があると息子たちは感じたらしい。
 だからすぐさま、「二文字はダメ」「下ネタはダメ」などとルールを作り、その価値判断を共有して、より優れたものを模索した。
 まるで、新しいボール投げのようなゲームを作っているようだ。

 そのルールの作り方にも興味深い点が三つある。

 ひとつは、この価値判断(ルール)は、とりあえずアウトから決まりはじめるらしいことだ。
 すなわち、「下ネタはダメ」などと、ダメな球筋のものが出現すると、ダメなものを除外する形で、はじめのうちはルールが共有されること。

 もうひとつは、この遊びのストライクゾーンもまた、ストライクらしいもの来たときはじめて、ああそれはストライクの一つだ、と認識される性質のものだということ。

 三つ目は、どんなに「こういうのはまあまあ」「けっこういい」というストライクが来ても、「こういうのこそが絶対に良く、他はダメだ」と、ストライクゾーンを明確に規定して他を排除するルールは作れないことだ。

■まだ見ぬストライクへの期待

 この遊びは、まだ見ぬストライクへの期待で成り立っていると思う。
 これは野球のストライクゾーンのようなものとはまったく異質である。

 この遊びのストライクゾーンは、ストライクが決まるごとに見出されてゆくのであって、ここをこう通ればOKなどとあらかじめ言えない。
 さっき良かったストライクも、「クラはあきた」というふうに価値を下げることがある。
 次のストライクが投げ込まれることによって、ストライクゾーンとその球種が作られ続けるのだ。

 ストライクがストライクゾーンを作り続ける。言葉の世界には、期待が切り開いて行く領域がある。


posted by tyouseki at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ばるばろ(短歌鑑賞) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月27日

短歌読解ノート2をはじめました

本体のHPを毎日お掃除。
リンクの点検はほぼ終わり。
「短歌読解ノート2」を新設。


掲示板の「ばるばろ」をどうしようかと迷っています。
読んだ人の意見も受け取れるよう場所はあったほうがいいんだけど、変な書き込みばっかりで、消すのがめんどくさい。(笑)

まだ不慣れなためひみつですが、ツイッターが使えるかもしれないと思い始めました。
posted by tyouseki at 02:13| ばるばろ(短歌鑑賞) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする